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庭屋てらSUNの想い

私は「外部空間を造りこむ」という事を通して、
暮らしを豊かににするお手伝いをしていきたいです。



豊かな暮らしとは何かというと、毎日おいしいご飯を食べるや、ゆっくり睡眠をとるなど、色々あります。

その色々の中で、外部空間においての豊かな暮らしを送るための要素として、見える景色を自分の好みにすることや、自分の動く道筋や、リズムに合った空間が有る事などがあります。



たいていの人は美しさを何時でも好み、暮らしの中にも求めますが、美しさにも、無数の形態があります。

その無数の形態の中に、例えば、原始的な美しさと、無駄を削ぎ落した機能的な美しさがあります。
サバンナ
原始的な美しさとは、例えば、屋久島の深い森や、そこにある渓流、キリマンジャロの裾野に広がる雄大なサバンナ、です。

人工的で無機質な物がそこに入ると、私たちの脳には、異物として認識され、たちまちその美しさは損なわれます。
トラス構造
刀、鉄骨造のトラスト構造、などのように、その時に使う事ができる素材の中で、無駄を削ぎ落し、強度や、使い勝手、を、極限まで追求した結果、そこに美しさが宿ったもの、それが機能的な美しさです。

しかし、刀身に苔や草が付くとのその美しさは無くなります。
機能性も、原始的な美しさも、美しいという事に関しては同じで、暮らしの中に取り入れ、身近に感じていたい所です。


しかし、同じ一つの空間と感じている、その中では、双方を完全に欠けることが無く同居させることはできません。


 では、暮らしの中に、自然な美しさと、機能性を取り入れたい時には、どうするかというと、バランスを、1:9にするか、9:1にするか、5:5にするかと、選ぶということになります。


また、人には好みがあり、趣味も様々です。原始的な美しさを求める人、機能的な美しさを求める人、または、雑多な、見方によると散らかっているような空間の方が好きだという人もいるかもしれません。


生活スタイルも、多種多様で、それに合わせて使い勝手の良い形も変わります。

例えば、玄関から門までが割合に近く、高低差が有るような立地ではどうでしょうか。
 
車いす利用者


車いすを使っている人は、つづら折りの様な形にして、できるだけ幅が広く段差の無い緩い勾配にしたほうが使いやすいでしょう。

又は、兎に角、玄関と門を往復する時間をできるだけ短くしたいという人には、古民家などで、たまに見かけるような段差の大きい階段で、最短の道筋で玄関までたどり着ける真っ直ぐで、急勾配なアプローチが適しているかもしれません。

また、敷地内に木や草花を植える場合でも、ハーブを沢山植えたい、バラの園にしたい、能舞台にあるような松を植えたい、植栽の事をとっても多種多様です。

さらに、土が有れば伸びてくる雑草の管理をしないといけませんし、どんなに伸びが遅い木でも生きている限りは成長をするので、大きさを整える、いわゆる剪定作業をしなければいけませんので、どの程度、そこに手間暇をかけることができるか考えることも必要でしょう。



これらのこと、嗜好や生活スタイルの違いを考えると、玄関までただ真っ直ぐで平らなアプローチだったり、まるで沢登りをしているようなアプローチだったり、趣味で集めたものがそこかしこに散らばっている空間だったりと様々で、少なくとも地球に住んでいる人と同じ数以上の、色、形、機能があります。

そして、その無限にひろがっている外部空間のデザイン計画を考えることは、とてもワクワクすることで、さらに私の持っている知識や技術を使って、そこに、お手伝いという形、参加させていただけたら、とても有難いことだと思っています。

和も洋も拘りなく

和を作っているのか、洋を作っているのか聞かれる時があります。

私は物を作り出す時に和とか洋の区分は必要が無いと思っています。

いわゆる、西洋的な、日本的な、という、見方をするのではなく、もっと作り出したい物の本質を考えるべきだと思っています。
和風庭園イメージ
洋風庭園イメージ


和という事は常に頭に有るのですが、それは和を以て貴しとなす、
の和です。


日本には、主に大陸を通して様々な形態の物や様式が入ってきました。

世界のどの地域も人の交流が有る限り、デザインの伝播があります。

そして、どこでも風土や考え方の違いによる、改変があると思いますが、

日本も例外ではなく、様々な形態を取り入れ、そして、その時代の風土や考え方を取り入れ、沢山の物を生み出してきました。

また今の時代は欧米からの、風を強く受けていて、その香りが強いデザインが多いようですが、外から情報が入ってくるスピードに大きな違いがあるだけで、それが入ってきて、影響を強く受けるという事に関しては、今も昔も変わりはありません。



そして、生活の中に入っている、外来の様々な物は、最近入ってきたものも、大昔から有る物も、オリジナルとすっかり同じものは少なく、日本に合わせて、洗練されたり、少し変えられたりしています。

そのことから、和と洋に単純に分ける事は、とてもおかしいことだと思います。

さらには、デザインを考える時は、その物の用途、たどってきた変遷を探らなければ、なんだか、薄っぺらく、違和感のあるものが出来上がってしまいます。

和とか洋とかよりも、もっと深い所を探り、本質にできるだけ近づかない事には、本当に求めているデザインには、たどり着くことはありません。


しかし、デザインを考える時に、和という事は常に頭に置いています。

それは、日本固有のという意味ではありません。

日本では古代から現在まで、血なま臭い争いが無かったわけでは有りませんが、それでも、様々な形や物、考え方を受け入れ、バランス良く、美しく、仕上げるということをしてきました。

そのような事をもって、和という事にしています。
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